2012年08月21日

【韓国が根拠にする地図は間違いなどが多い】ことは言わない独島(竹島)韓国領主張者

【現代の竹島は江戸時代には松島と呼び鬱陵島を竹島と呼んだ】ことは、
朝鮮政府も竹島外一島というソースを見ればわかると思いますが否定していません。

しかしニコニコ動画で独島(竹島)は韓国領と言っている下記の動画を上げてる韓国人らしき人は、
そのことさえも知らずか文化や過去の経緯などを含まずに現在の竹島という地名だけで、
韓国領と言っているようです。そもそも同じ地名なんて他の国でもあるでしょう。



独島(竹島)が韓国領だと主張している人によると、独島は韓国半島から離れていて[独]島なので正しく、竹島は名前には[竹]がないので間違いらしいです。

しかし江戸時代までは現在の竹島は松島と呼ばれていました。別に竹や松が無くても松竹などと命名するのは中国から輸入した東洋美術的な感覚であり、それを中韓では江戸時代の昔に同じ地名にならないような近代的な論理で命名をしていたのでしょうか?逆にそれが実行できているのなら国境を明確にしめす資料があるはずです。そもそも万里の長城ほどの国境の目印は無いのですが、その先も中国領ですよね。

韓国は自分が根拠にしている文献で于山島のことを独島(竹島)としています。
しかし文献を見ると于山島に定住し大竹などが取れたとあります。また不法占拠
している韓国政府は竹島(独島)で竹の栽培をしていますが失敗しています。

「竹島には竹が無い」と力説すればするほど、韓国側の主張に矛盾が生じるのでは?

韓国側の地図などで于山島は鬱陵島の西側にありますが鬱陵島の西側ではなく東側です。

『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されています。もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずです。しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかります。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_ninchi.html


1877年-1880年の間に朝鮮政府が「リアンコールトロックは朝鮮領だと主張したり、あるいは軍艦天城の調査後、「松島=鬱陵島」と比定された後、朝鮮政府が日本政府に対して抗議したり、「リアンコールトロックは朝鮮領だ。」と公告等していたなら又、別な話にもなるであろうが、当時の朝鮮王朝には、そういった記録は全く無く、むしろ逆に、朝鮮王朝は1882年の鬱陵島調査で「鬱陵島の先には島は見当たらない。」[13]と、鬱陵島の東には、朝鮮の領土と主張すべきものは全く見当たらないという認識を公式にしていた。[14]

日本随所に見られる「松島」「竹島」「夫婦島(岩)」は、島や岩礁に命名する時の日本人古来の慣習から来る呼び名である。

古来、ほぼ同じ大きさの島や岩礁が対になって居る場合、もしくは一般的夫婦のように大小の組になって居る場合に、しばしば「夫婦島」「竹島」と呼ぶ習わしが在る。

また、小さな島や岩礁などはよく「松島」と呼ばれ、土地の住人の呼び方を含め日本各地に数多くの「松島」が存在して来ている。「松島」の「松」は「しょう(小)」とも読める所から、「小さな、綺麗な」等の意味合いも持っている。松が生えている所から「松島」とした例も在る。

*「現在の鬱陵島と竹嶼島」を「竹嶼」と呼んでいた件に関しては、朝鮮半島の文献の「竹嶼」に関する記述でも確認されているように「竹が自生していた」所から、「竹嶼」と命名した可能性がある。(参照:于山島、竹嶼)

韓国に帰化した世宗大学校の保坂祐二助教授は、太政類典にある距離の里を海里(1海里=1852m)として計算すると、鬱陵島と現在の竹島は実際の距離に近くなるとして、当時の日本の地図の記載間違いなどは日本の歪曲的解釈として、1905年の竹島の島根県編入は日本の軍国主義による侵略の始まりと位置付けている。しかし、これらの距離は享保年間に書かれた大谷家の絵図に記載されたものをそのまま記述しており、海里が使用されるずっと以前の距離であるため海里ではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/竹島外一島

保坂祐二氏は東大出身でも工学部です。歴史の専門家なのでしょうか?
日系朝鮮人なのに日本人が否定しているように見えますね。

竹島は日本の領土」を証明する動かぬ証拠が鬱陵島にあった
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120820/dms1208201601005-n1.htm

「大震災に続きもう一度天罰が下る」 竹島がらみで韓国ネットニュースが妄言
http://www.j-cast.com/2012/08/20143378.html

中韓露は倭猿・マカーキー(ロシア語で日本は猿)と明治維新の頃から言っています。

中韓人は「シナチョン」というと差別といいますが、シナは秦でありチョンは朝(鮮)です。
中国は琉球(沖縄)のことを「夷(野蛮人)」とよんでいました。

羽地朝秀は慶安3年(1650年)琉球最初の正史である『中山世鑑』を編纂した。この中で羽地は、琉球最初の王・舜天は源為朝の子であり、琉球は清和源氏の後裔によって開かれたと述べているが、この源為朝来琉説こそ日琉同祖論の起源である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/日琉同祖論

琉球政府は国の根本に関わる日琉同祖論を否定した証拠がありません。

以下は中韓が領有権の証拠としている地図ですが、この地図は日本と満州が同じ色になっているなど杜撰なことが多いです。そもそも北方領土問題のロシアが翻訳している時点で不公平さが満ちています。

『三国通覧図説』はその後、長崎よりオランダ、ドイツへと渡り、ロシアでヨーロッパ各国語版に翻訳された。それは地図の正確性には乏しく、特に本州・四国・九州以外の地域はかなり杜撰に描かれているものであった。このドイツ語版もしくはフランス語版が、ペリー提督との小笠原諸島領有に関する日米交渉の際に、日本の領有権を示す証拠になったと言われる。 韓国ではこれを、同国の竹島・対馬領有権の証拠と主張している。 また、中国ではこれを、同国の尖閣諸島(沖縄県)領有権の証拠と主張している。 19世紀に日米間で小笠原諸島の領有権を争った事実はなく、日米両国にそういった記録は存在せず、『三国通覧図説』が小笠原諸島領有における日米交渉に使われたという話は『河北新報』に掲載された林子平を題材とする新聞小説が元ネタである[1]という説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/林子平

仙台藩士が関が原や戊辰戦争で敵で二重鎖国の薩摩藩の保護国の琉球に行って詳細な調査が出来たのでしょうか?しかも蟄居刑を受けたのでとても藩を代表した現地調査をしたとも思えません。

保阪氏は島根県の竹島問題研究所が発表した最終報告書に「林子平の地図は領有権とは関係がない」とされていることに対して、竹島問題研究会は不勉強だとしている。ちなみに吉田松陰が、兵学の思考方式を土台にして洋学、水戸学、国学などを吸収して行ったとし、朝鮮に対しては侵略主義者であったと主張している。松下村塾では禁煙同盟というのが出来た。

新聞という専門外の記者の主観を交えることが出来るゴシップを根拠にするタバコ会社もいます。このようなものは過去の文献や統計などを照らし合わせて研究論文を出すべきだというのが統計の専門家である癌センターの総長の意見です。

中韓露や犯罪者は喫煙率が高いです。韓国は時代遅れにも独島タバコで戦費を稼ぎ葉タバコを作るためだけに森林破壊を多くしています。タバコ会社は煙害を懐疑する論文をたったの2%しか追跡調査していないなどの杜撰な研究条件は言わずに主張します。

それを記事にしたものを税金が投入されている厚生労働省の部会などで持ち出してくるのです。欧州の反原発市民団体も研究論文の中の「?(かもしれない)」を隠し、断定的に言いますが、他の多くの論文と異なる場合があります。学界ではこういう偏りという間違いを避けるためにメタ分析研究という複数の精度の高い研究を照らし合わせますがタバコ会社などは、自分は偏った資金援助している論文などを持ち出すくせに懐疑します。

竹島は韓国領主張者で日系朝鮮人で歴史ではなく工学部出身の保坂氏はニュースの記事だけを見ると2つの地図だけ持ち出して、1300年日本は竹島を記載した地図を作らなかったと言い張っていますが多く存在します。



posted by ゆうゆう高 at 00:05| Comment(0) | 竹島&尖閣諸島問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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